沖縄本島にある読谷村で生産されている花織の紬織物です。首里花織に対して、色や柄、技法にも南方色が強く見られます。布の裏側に糸が渡り、厚手なのが特徴です。

はっきりとした起源は明らかではありませんが、14~15世紀頃、現在の沖縄県にあたる琉球王国は中国、東南アジアなどと盛んに交易が行われており、その頃、技法が伝わり織られ始めたといわれています。

首里の上流階級や士族、読谷の人々だけしか着用が許されなかったといわれており、琉球王国の保護を受け、発展していきました。1609年に、琉球王国が現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部にあたる薩摩藩の侵攻を受け服属し、貢納布として納めるようになりました。

そして、高度な織柄が求められるようになり、さらに技術が発展していったといわれています。貢納布制度は1903年に廃止されるまで続けられていました。

明治中頃に、需要が減ったことにより次第に衰退し、生産が途絶えましたが、1964年に、織物の技術者たちにより、苦労の末、復興されました。

現在、技術伝承・後継者育成などの活動が行われています。