広島県福山市、新市町一帯で生産される木綿絣です。藍色の地にはっきりとした絣模様が特徴です。伊予絣久留米絣とともに日本三大絣の一つとされています。

古くから綿の栽培が行われており、現在の福山市にあたる備後福山藩の初代藩主である水野勝成によって、福山沿岸部一帯は棉花の栽培が奨励されていたといわれています。

備後絣は1853年に富田久三郎によって考案され、当初は文久絣と呼ばれていました。備後絣にかけた富田久三郎の功績に対し、1905年に新市町の素盞鳴神社の境内に頌徳碑が建立され、その後さらに胸像も建てられています。

備後絣と呼ばれるようになったのは明治時代に入ってからです。明治初期に備後絣として全国に出荷され、備後絣の名が知られるようになりました。機械化・合理化とともに生産を伸ばしていき、最盛期である1960年頃には、年間300万反以上を生産し、国内の絣生産の7割を占めていました。

しかし、その後は洋装化による需要の減少で生産数は激減していきました。

後継者不足の問題に対して、備後絣協同組合は福山市の伝統的工芸品伝承事業の委託団体に登録、「国のふるさと雇用再生事業」を活用して2010年5月より2名を新規雇用して研修を実施するなど、事業の存続への試みが行なわれています。また、現代の生活に合った新製品の開発なども行われています。